『アバター』(ネタバレあり)

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 ストーリーはあくまで付属品で、キャメロンが第一に見せたかったのはあの圧倒的に作りこまれた映像のディテールなんですよね。そういう意味で、2010年版『タイタニック』なのかなと。あの映画も、ディテールの作り込みが尋常じゃなく、人間の描き方はとても類型的。ストーリーを単純化して絵を見せる、という哲学は徹底している。 

 オジギソウのようにスポンと縮んでいく植物、触れると炎のようなハネを広げる昆虫、トリケラトプスアルマジロが合体したような猛獣、ベヒーモス、鍾乳洞のように触手が吊り下がった『エイワ』のモチーフ、とても『ナウシカ』的だし『FF』的。

 僕はFF7の「忘れられた地」や「ライフストリーム」を思い出して、懐かしくなりました。高校3年のときに熱中したゲームですから。さらに、しょっぱなの宇宙ステーションで目覚めて、空中に浮いている水滴をすするジェイクは『2001年宇宙の旅』の続きを彷彿とさせます。宇宙のイメージ、孤独で無酸素で寂しい印象を一度描いてから、大勢人間がいるパンドラのステーションなり、ナヴィの里を描くというのは確信的なのかなと。

 すごいと思ったのは、フルCGの描写と実写が何の違和感もないこと。完全にシームレス。ナヴィの人々が人間と一緒に立つと「あ、3メートルあるんだよな」とは気づくけど、作り物感はほとんどない。わずかなズレとしては、例えばナヴィの人々が母なる樹に向かって全員で祈りを捧げるシーンで、微妙にカクカクした動きでシンクロしてるとか、そのぐらいではないかと。

 サイトの写真を見ると、ジェイクとネイティリが一緒に映っている画像はさすがに作り物だと分かりますが、これが動画で、3D化されるとフィルターが二重にかかるのか、違和感はありません。セックスシーンでも、エロティックな感じは十分に出ていた。

 人物像は、すごく類型的。「人間=環境破壊をする悪」、「ナヴィ=星と共に生きるイノセントな人々」。確かに余計な「ゆらぎ」を設けるとさらに労力が必要になるし、14年もかかった話なので余力はなかったのかも。まあ、その必要性も別に感じていなかったのでしょうけど。

 僕にとって、このナヴィの人々含めた人物の薄っぺらさが、物語に没入する妨げになっていることは否めません。例えば、ジェイクは最終的に軍隊というか人間を裏切ってナヴィにつくとてつもなく重い結論を下すわけですが、その結論に至る筋道がハッキリしません。ネイティリへの恋心だけ、ではちょっと天秤の片方が重過ぎる。そもそも、パンドラの奥深くまで侵入して「行動(破壊)は早いほうがいい」とまで言っていたのはジェイク本人です。

 同様に、トゥルーディやノームがジェイクと「心中」することも納得がいかない。クライマックスの、ジェイクの生命維持装置をなぜネイティリが見つけられたのか、とか、物語の根幹になる部分で「?」というシーンが多くて、そこだけはどうしても興ざめしてしまうんですよね。

 ただ、それを差し引いても、この偏執狂的な(笑)映像美を体験しないのはあまりに勿体無いといわざるをえない。3D元年の記念碑、「これを大幅に下回る映画は作れない」というスタンダードを築いたという意味で、『アバター』は今ここで映画館で体験しておくべき作品ではないでしょうか。