【五輪】国母選手の件は、安全保障問題

 なのだと思う。

 この話では「メディアの拙さ」「暇人の極端な反応」を取り上げて是非を論じる人がとても多くて、勢い「国母選手が悪人か善人か」という拙劣かつ不毛な議論を招く。

 当然の帰結として「国母選手には難病を患う仲間がいて、彼を助けるために〜」「友達思いの良い奴」って記事が出る。予定調和も良いところだ。

 参照:http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0216&f=national_0216_006.shtml

 この話自体はとても素晴らしい。だが、「悪人/善人」というアジェンダ設定がなされた今、こうしたエピソードもネタとして消化される以外になく、非常に残念というか、バカバカしい。

 バカバカしい理由は二つ。一つは、善人か悪人かなんて、メディアを通じて情報を得るだけの我々が決められるものではない。

 もう一つは、彼の態度を擁護/批判する人は過去同じようなケースでずっと同じように擁護/批判してきたのか、今後も国母選手がバッシング受けるたびに擁護/批判するのか、それは問題解決にいっさい繋がらない単なる自己満足にすぎないのではないか、ということ。

 国母選手などよりはるかに非道い(一般人を殴った)ことをしたと思われる朝青龍関はやたら擁護の声が多かったが、本当に騒ぐべきは現役横綱がこのような不可解な形で引退することの是非ではないのか、など。

 表題の通り、この話はメディア対応という安全保障の文脈においてしか建設的な議論にならない。我々は過去、マスメディアが全く信用ならない存在であることを十分に知っており、大衆が下劣な方向になびきやすいことも十分に知っているから。

 http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/02/16/0002716131.shtml

 叩く材料があれば、「品位」「品格」の印籠を武器に嬉々として叩くのがメディアだったりナントカ審議会だったりする。同様に、「オラが仲間」が不祥事をしでかせばすぐに「自粛」するのが大衆だったりする。

 そんな現状を批判して何になるのか、と思わざるを得ない。ここで徹底的に戦って現状を変えたいと思うのは自由だが、風車に戦いを挑むドン・キホーテのようなものだし、その間に第二第三の国母選手はどんどん叩かれていく。

 国母選手の問題は、つまるところメディア対応の拙劣さに尽きる。周囲のサポート不足も当然ある。が、マスメディアが固まっている場所は事前に把握できるわけで、「カメラの前では体面を整えておく」だけで十分に済む話。

 スノーボードというマイナー競技では、メディア対応の機会がそもそも少ないことは否めず、そういう点でJOCの対応にも問題があった。けれども、上記したようなことは、他の殆どの選手が守って(無難にやり過ごして)いることで、国母選手にそれを求めることが過分な要求とは思えない。

 こう書くと「個性を矯めるのか」という話になるが、それこそ議論として拙劣。世界的なプレーヤーは誰もがメディア対応を心得ており、超個性的なプレーをするC・ロナウドやメッシやロナウジーニョといった選手も基本的には誠実に対応する。「メディア対応が拙劣」だけな話を個性の問題に帰着するのは、それこそ個性のはき違いと言わざるを得ない。

 プレーヤーの個性とは、フィールドで思う存分発揮されるべき。メディア対応とは、残念な現実とはいえ、「揚げ足を取られないため」の安全保障なのだ。いちメディア関係者としては、そうした指摘をしておくのが、今後の(というか今大会においても)国母選手に有益だと考える。