【五輪】国母選手の件は、安全保障問題

 なのだと思う。

 この話では「メディアの拙さ」「暇人の極端な反応」を取り上げて是非を論じる人がとても多くて、勢い「国母選手が悪人か善人か」という拙劣かつ不毛な議論を招く。

 当然の帰結として「国母選手には難病を患う仲間がいて、彼を助けるために〜」「友達思いの良い奴」って記事が出る。予定調和も良いところだ。

 参照:http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0216&f=national_0216_006.shtml

 この話自体はとても素晴らしい。だが、「悪人/善人」というアジェンダ設定がなされた今、こうしたエピソードもネタとして消化される以外になく、非常に残念というか、バカバカしい。

 バカバカしい理由は二つ。一つは、善人か悪人かなんて、メディアを通じて情報を得るだけの我々が決められるものではない。

 もう一つは、彼の態度を擁護/批判する人は過去同じようなケースでずっと同じように擁護/批判してきたのか、今後も国母選手がバッシング受けるたびに擁護/批判するのか、それは問題解決にいっさい繋がらない単なる自己満足にすぎないのではないか、ということ。

 国母選手などよりはるかに非道い(一般人を殴った)ことをしたと思われる朝青龍関はやたら擁護の声が多かったが、本当に騒ぐべきは現役横綱がこのような不可解な形で引退することの是非ではないのか、など。

 表題の通り、この話はメディア対応という安全保障の文脈においてしか建設的な議論にならない。我々は過去、マスメディアが全く信用ならない存在であることを十分に知っており、大衆が下劣な方向になびきやすいことも十分に知っているから。

 http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/02/16/0002716131.shtml

 叩く材料があれば、「品位」「品格」の印籠を武器に嬉々として叩くのがメディアだったりナントカ審議会だったりする。同様に、「オラが仲間」が不祥事をしでかせばすぐに「自粛」するのが大衆だったりする。

 そんな現状を批判して何になるのか、と思わざるを得ない。ここで徹底的に戦って現状を変えたいと思うのは自由だが、風車に戦いを挑むドン・キホーテのようなものだし、その間に第二第三の国母選手はどんどん叩かれていく。

 国母選手の問題は、つまるところメディア対応の拙劣さに尽きる。周囲のサポート不足も当然ある。が、マスメディアが固まっている場所は事前に把握できるわけで、「カメラの前では体面を整えておく」だけで十分に済む話。

 スノーボードというマイナー競技では、メディア対応の機会がそもそも少ないことは否めず、そういう点でJOCの対応にも問題があった。けれども、上記したようなことは、他の殆どの選手が守って(無難にやり過ごして)いることで、国母選手にそれを求めることが過分な要求とは思えない。

 こう書くと「個性を矯めるのか」という話になるが、それこそ議論として拙劣。世界的なプレーヤーは誰もがメディア対応を心得ており、超個性的なプレーをするC・ロナウドやメッシやロナウジーニョといった選手も基本的には誠実に対応する。「メディア対応が拙劣」だけな話を個性の問題に帰着するのは、それこそ個性のはき違いと言わざるを得ない。

 プレーヤーの個性とは、フィールドで思う存分発揮されるべき。メディア対応とは、残念な現実とはいえ、「揚げ足を取られないため」の安全保障なのだ。いちメディア関係者としては、そうした指摘をしておくのが、今後の(というか今大会においても)国母選手に有益だと考える。

ネタバレあり『キャピタリズム マネーは踊る』

 http://www.capitalism.jp/

 全米1%の超富裕層が、95%の富を独占し、大多数の人間を貧困に追いやっていると「名指しで」告発するドキュメンタリー。今更ではあるけど、こんだけ名指しで著名人を告発しまくってる以上、命の危険すらあるはず。命を賭したメッセージから、何かを受け取らないはずはない。

 批評的に『インターナショナル』が流されるなど、映画は結論として「万国の労働者よ、団結せよ」と言っている。それに全面的に賛成できるかというと、微妙。米国で起こっているすさまじい格差を是正するために、労働者が団結せよというのは全くもって同意できる。できるが、共産主義を礼賛できるかというと、できない。

 「機会の平等を保て」「大きすぎる格差を是正せよ」というのが映画のメッセージだし、そこから脱線しない範囲内でマイケル・ムーアには賛成。それ以上でも以下でもない。

 金融工学を駆使し、弁護士にも手が出せないようなデリバティブという難解な金融商品(映画では、ハーバード大学学長が説明に詰まるシーンが描かれていた。僕も当然だがよく分からない)を作り上げた連中は、悪魔だと思うと同時に、ほんの少しの嫉妬やあこがれがあることを隠せない。

 知的犯罪というのは、資本主義そのものだと思う。知識と教養と能力を武器に、それらを持たない人間から、それと分からない形で奪う。だからこそ許しがたいのだが、その富を、適正な形で再分配せよと言われても、何が適正なのかよく分からなかったりする。

 自分に引き寄せて考えると、現在の自分があるのは良くも悪くも知識と教養と経験の賜物。得たものも、大きく失ったものも、自分にふさわしいと思う。同時に、現在の自分では到底満足できない。ひたすら勉強を重ねるしかないし、その結果得たものは、正当に評価してほしいと思う。こうした考えは誰もが持つと思うし、ゆえに共産主義には絶対に相容れない。

 僕はウォール街の住民にはなれないが、工場で一揆を起こす人々の仲間にも入りたくない。「中間層」になれるように努力したい。

[3本目]

『アバター』(ネタバレあり)

 http://movies.foxjapan.com/avatar/

 ストーリーはあくまで付属品で、キャメロンが第一に見せたかったのはあの圧倒的に作りこまれた映像のディテールなんですよね。そういう意味で、2010年版『タイタニック』なのかなと。あの映画も、ディテールの作り込みが尋常じゃなく、人間の描き方はとても類型的。ストーリーを単純化して絵を見せる、という哲学は徹底している。 

 オジギソウのようにスポンと縮んでいく植物、触れると炎のようなハネを広げる昆虫、トリケラトプスアルマジロが合体したような猛獣、ベヒーモス、鍾乳洞のように触手が吊り下がった『エイワ』のモチーフ、とても『ナウシカ』的だし『FF』的。

 僕はFF7の「忘れられた地」や「ライフストリーム」を思い出して、懐かしくなりました。高校3年のときに熱中したゲームですから。さらに、しょっぱなの宇宙ステーションで目覚めて、空中に浮いている水滴をすするジェイクは『2001年宇宙の旅』の続きを彷彿とさせます。宇宙のイメージ、孤独で無酸素で寂しい印象を一度描いてから、大勢人間がいるパンドラのステーションなり、ナヴィの里を描くというのは確信的なのかなと。

 すごいと思ったのは、フルCGの描写と実写が何の違和感もないこと。完全にシームレス。ナヴィの人々が人間と一緒に立つと「あ、3メートルあるんだよな」とは気づくけど、作り物感はほとんどない。わずかなズレとしては、例えばナヴィの人々が母なる樹に向かって全員で祈りを捧げるシーンで、微妙にカクカクした動きでシンクロしてるとか、そのぐらいではないかと。

 サイトの写真を見ると、ジェイクとネイティリが一緒に映っている画像はさすがに作り物だと分かりますが、これが動画で、3D化されるとフィルターが二重にかかるのか、違和感はありません。セックスシーンでも、エロティックな感じは十分に出ていた。

 人物像は、すごく類型的。「人間=環境破壊をする悪」、「ナヴィ=星と共に生きるイノセントな人々」。確かに余計な「ゆらぎ」を設けるとさらに労力が必要になるし、14年もかかった話なので余力はなかったのかも。まあ、その必要性も別に感じていなかったのでしょうけど。

 僕にとって、このナヴィの人々含めた人物の薄っぺらさが、物語に没入する妨げになっていることは否めません。例えば、ジェイクは最終的に軍隊というか人間を裏切ってナヴィにつくとてつもなく重い結論を下すわけですが、その結論に至る筋道がハッキリしません。ネイティリへの恋心だけ、ではちょっと天秤の片方が重過ぎる。そもそも、パンドラの奥深くまで侵入して「行動(破壊)は早いほうがいい」とまで言っていたのはジェイク本人です。

 同様に、トゥルーディやノームがジェイクと「心中」することも納得がいかない。クライマックスの、ジェイクの生命維持装置をなぜネイティリが見つけられたのか、とか、物語の根幹になる部分で「?」というシーンが多くて、そこだけはどうしても興ざめしてしまうんですよね。

 ただ、それを差し引いても、この偏執狂的な(笑)映像美を体験しないのはあまりに勿体無いといわざるをえない。3D元年の記念碑、「これを大幅に下回る映画は作れない」というスタンダードを築いたという意味で、『アバター』は今ここで映画館で体験しておくべき作品ではないでしょうか。

ACL出場反対とは、「J1優勝反対」である

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします、と挨拶はそこそこに表題の件について。

 http://twitter.com/DS1221

 twitterで適当に書いてますが。

 ACL出場が決まりました。イヤだと言っても、勘弁してくれと言っても、J2に落ちてしまうと言っても、天変地異でもない限り(洪水などで試合が順延される可能性はある)スケジュールどおりに試合が組まれ、辞退しない限り広島は以下の相手、日程でACLを戦うことになりました。

http://www.sanfrecce.co.jp/news/release/?n=3414&m=1&y=2010
2月24日(水)山東魯能(中国) @会場未定
3月10日(水)浦項スティーラーズ(韓国)@スティールヤード(浦項)
3月24日(水)アデレード・ユナイテッド(オーストラリア) @ハインドマーシュスタジアム(アデレード)
3月30日(火)アデレード・ユナイテッド(オーストラリア) @会場未定
4月13日(火)山東魯能(中国)@山東省体育中心体育場(済南)
4月27日(火)vs.浦項スティーラーズ(韓国) @会場未定

 ちなみに、「会場未定」と書いてあるのがホームです。広島ビッグアーチとの契約がまだ、ということなのでしょう。ホームページを見てみましたが、来月以降のスケジュールが閲覧できないので、あるいは広島スタジアムでという可能性もゼロではないのでしょうか。このあたりは分かりませんが。

 ところで広島系のブログ群を見ると、「ACL出場反対」とか言ってる方々がいるようです。 しかし、タイトルのように考えてみましょう。某氏の発言の受け売りですが、論理的に考えれば「ACL出場反対=J1優勝反対」ってことは分かりますよね。

 優勝すれば必ずACLに出るわけです。そして、すべての大会は(名目上だけでも)優勝を目指す必要がある。あるいは、「優勝を受け入れない」なんてことはありえない。同じ人が「J1優勝のためには」とか書いていたら、「チャック空いてますよ」と言ってあげましょう。

 4位になった時点でACL行きがあることは、何ヶ月以上も前からわかっていた。現時点でオタオタ言う人は、覚悟が決まってないのです。正直、最終節前後まで僕は「5位で終わってくれないかな」とつぶやいてましたがw 4位になった時点で腹をくくりました。

 それに、リスクとリターンは背中合わせです。広島は過密日程と移動距離によって去年以上の疲労を蓄積し、去年以上にパフォーマンスを落とし、J2落ちの危機に瀕する可能性があります。去年よりけが人や離脱者が減る保証なんて、どこにもないわけですしね。

 反面、新規スポンサー獲得や賞金、知名度の向上(メインスポンサーのDEODEOにとって、アジア戦略上相当大きいはず)など、現時点でもある程度計算できるメリットはあります。

 あくまで数字上の話ですが、ACLで優勝し、CWCでバルセロナなど世界の強豪と対戦する可能性はあるわけです。J2での戦いをあれこれ呻吟していた2007年冬〜2008年春にかけて、誰がこの状況を想像したか。僕の知る限り、誰1人としていません。現時点で分かった風な口を利いている人は、後出しジャンケン勝者であると考えて良いと思います。

 こうなった以上は、とことん楽しむべきです。リーグ戦では精一杯声援を送り、少しでも選手の足を動かせるように。それでなくとも、忙しい中時間とコストを割いて広島ビッグアーチに足を運ぶ行為自体がすでに尊いサポートです。

 その上で、ACLは楽しむ。行き帰りの道程を、『地球の歩き方』『るるぶ』なりの書籍・雑誌を購入し、ネットでお勧めの観光スポットを探し、良いタイミングで外貨を準備し、現地語を少しずつ勉強し(簡単な挨拶程度でも)、なんなら現地のSNSに登録して友人を探してみるとか、現地のBBSを探して「広島サポだが」と議論を挑んでみるとか、楽しみ方は無数にあるなと思います。

 こうした楽しみは、国内リーグでは絶対に経験できない、来年以降必ず経験できるとはいえない、天恵なのだと思います。

 ということで、僕は今年1年、めいっぱい楽しみたいと思います。仕事に折り合いをつけてビッグアーチは3試合とも参戦し、アウエーも可能な限り行きます。

 最後になりましたが、ガンバ大阪の皆さん、ありがとうございました。途中まで名古屋のサイド攻撃にかなり危ないシーンを作られながら、2点目を奪ったあとの畳み掛けは鬼だなと思いました。

 「棚ぼた」とか言ってる皆さん、レギュレーション通りに出場権を獲得することのどこに棚ぼた要素があるのでしょうか(不祥事で繰上げ、ならまだ分かる)。言われて凹んでる皆さん、「へっへー、棚ぼたでサーセン(笑)」と冷笑で返してやりましょう。

 パスポート再発行しなきゃー。

私的ベスト映画賞2009 『グラン・トリノ』ほか

 今年の私的ベスト映画ランキングを作ろうとして、30本程度しか観てないことに気づく。うーむ、忙しかった証拠ということにしとこう。。。

 ってことで、以下独断と偏見(インプット量が十分でないという意味で、文字通り)にて私的ベスト映画2009を。

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■主演俳優賞:
クリント・イーストウッドグラン・トリノ
ミッキー・ローク『レスラー』

■主演女優賞:
 キム・ヘジャ『母なる証明

助演男優賞
クリストフ・ヴァルツイングロリアス・バスターズ
ウォン・ビン母なる証明

助演女優賞
 アーニー・ハー『グラン・トリノ

■監督賞:
 ポン・ジュノ母なる証明

脚本賞
 ポン・ジュノ母なる証明

■主演家畜賞:
 HACHI『HACHI〜約束の犬〜』

マイケル・ジャクソン
マイケル・ジャクソンTHIS IS IT

■作品賞
 『グラン・トリノ

■視覚効果賞
 『ベンジャミン・バトン』

ラジー賞
・『沈まぬ太陽
・『バーン・アフター・リーディング
・『カイジ

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べスメン規定、廃止せず修正せよ 

http://supportista.jp/2009/12/news16165138.html
 
 この記事に関してというか、ベストメンバー規定の是非について思うこと。

 この手の議論は、基本的に僕の中では解決済み。「必要、ただし修正すべき」ということ。世界各国のリーグでベストメンバー規定に準じる規定はあるし、誰も彼も起用すれば、誰かの期待を裏切り、集客に響き、スポンサーサイドの不利益になる可能性がある。
 
 根本的なこととして、何年も存在する規約にはそれなりのメリット・デメリットがあるはずで、両面から検討すべきなのが当然。しかし、この手の議論となると、「デメリットはこう、だから廃止」という論調が多い。確かにデメリットはあるが、それは何の規約でもそうだ。ゼロイチで語ることに意味があるとは、あまり思えない。

 以下、その根拠を書きたい。



ベストメンバー規定は必要
 単純に、「そりゃ僕でも見に行かないよ」って試合が増えるから。例えば広島だと、こういうメンバーで試合をしてもOKとなる。来季のメンバーが固まっていないので、今季のメンバーで構成する。

−−−−−−−−−−−−平繁−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−清水−−−−−−丸谷−−−−−−−−−−−−
楽山−−−−−−−−−−−−−−−−−−ハンジェ−−
−−−−−−−岡本−−−−−−横竹−−−−−−−−−−−
−−−−−盛田−−−篠原−−−−橋内−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−原−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 これだと、まんまサテライトチームとなります。ベストメンバー規定を廃止すると「アリ」になる。

 確かに、何試合に一回かはこういう布陣があっても良いかもしれない。しかし、それはサポーター・コアファンの意見。一般ファンの「佐藤寿人を見たい」「柏木陽介を見たい」って人の興味を惹くのは難しい。

 シーズンパスの購入を迷っている人は「がっかりするメンバーになるかも」と思って見送るかもしれない。たまたま見に行った試合がサブメンバー中心なら「残念だった、もう行かない」と思うかもしれない。スポンサードする企業にとっても媒体価値が下がり、よろしくないわけです。

 こういう事態を回避するため、同規定は必要です。「不必要だ」というのは「ベストメンバーで戦う必要はない」と言っているに等しい。「ファンにとっては誰もがベストメンバー」というのも、言い方はきついですが、「自分(たち)がファンを代弁している」という一種の思い上がりでしょう。



■修正の根拠1:ナビスコ杯の位置づけ
 ただ、修正は必要なのは言うまでもありません。根拠その1は、ナビスコカップの位置づけが不透明であることです。

 本来、カップ戦は多くの若手が出場するものです。例えば2009年10月29日に行われたスペイン国王杯で、バルセロナは主力を5人しか出さず、若手に多く出場機会を与えています。

 http://www.fcbarcelona.jp/news/2009_10/oct09/match_20091028.html
>この日のバルサは、いつもの顔ぶれから大きく異なった。6人の主力をバルセロナへ残し、そしてゴールマウスはホセ・マヌエル・ピントが守った。スタメンにはバルサ・アスレチックのガイ・アスリンが入り、また、右サイドバックには、本来ウイングのジェフレンが入った。

 スペイン語に堪能でないため、スペインの規約は分かりませんが、こうした起用が許される程度には寛容であるということでしょう。そして、世界的にも普通なのだと思います。

 カップ戦に厳しい規約を設け、若手の出場機会を阻むことは、日本サッカーに深刻なダメージを及ぼし得ます。すでに、「J.LEAGUE Under age players Move up Project(JUMP)」というプロジェクトが発足されており、

 http://www.j-league.or.jp/release/000/00002797.html

 その記事を報じた『サポティスタ』には、

 http://supportista.jp/2009/05/news18093008.html
・プロ契約選手数を2010年は27人、11年以降は25人に制限
・J2の外国籍選手はアジア枠を含めて2人に制限
サテライトリーグを廃止
ベストメンバー規定を廃止

ナビスコ杯を水曜開催に
・契約選手のうち、2人以上は自前のアカデミーで育成した選手を。
(13〜18歳にかけて36ヶ月以上過ごすこと/導入までは6年間の猶予期間有)

 以上のような記事があります。将来的に、ベストメンバー規定の廃止も言及されていますが、ひとまずここでは論じません。というのは、日本サッカー協会は今年から天皇杯にまでベストメンバー規定を適用したから

 http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090708-515578.html
 昨年は、天皇杯4回戦に登場した大分が、優勝した4日前のナビスコ杯決勝戦のメンバーから先発を10人入れ替えて、J2鳥栖と対戦し、0−2で敗退した。厳重注意だけで、ペナルティーはなかった。それも今季からは、J規約にもある「最強チームで臨むこと」を大会規定に盛り込む。今後はベストメンバーで臨まないと、ペナルティーを科されることになる。

 カップ戦は若手出場の場である、という共通認識がなされているとは思えず、今後の火種になると思います。

 とはいえ、移籍規約の改定により選手人件費が高騰し、保有選手数は規約で制限するまでもなく限られる。一方で、サテライトが廃止され、若手の出場機会確保は大きなテーマになった。リーグ戦をベストメンバーで臨むのは当然としても、カップ戦が同様の位置づけというのは色々な面で問題があるということです。



■修正の根拠2:規定に不備がある
 次に、ベストメンバー規定そのものに不備があること。

 http://www.j-league.or.jp/aboutj/2007pdf/04.pdf
>第42条〔最強のチームによる試合参加〕
>q Jクラブは,その時点における最強のチーム(ベストメンバー)をもって前条の試合に
臨まなければならない.
>w 第40条第1項第1号から第3号までの試合における先発メンバー11人は,当該試合直前のリ
>ーグ戦5試合の内,1試合以上先発メンバーとして出場した選手を6人以上含まなければなら
>ず,詳細に関しては「Jリーグ規約第42条の補足基準」によるものとする.

 広島は今季、ナビスコ杯で規定に反したとして罰金1,000万円を科されました。

 ことの是非は、サッカー蟻地獄に詳しいし、ここでは論じません。(参照:http://blog.fckbu.jp/archives/2009/06/s-best-member.html

 ここでは、規定そのものの不備を指摘したいと思います。不備とは、ナビスコ杯に規定を適用するのに、「直近の5試合」にナビスコ杯の試合が含まれないことです。ある大会の構成メンバーに対し、別の大会の基準を当てはめるのは公正とはいえないでしょう。

 ナビスコ杯が規定の対象ならば、ナビスコ杯も「直近の5試合」に含まれるべき。条文を改訂すべきなのは明らかではないかと思います。

 カップ戦を若手登用の場にすべき、というのは、上記した理由から、現場の要請として避けがたいこと。にもかかわらず、カップ戦における若手起用の幅がリーグ戦と一緒というのは、好ましくない事態ではないでしょうか。



■解決案:
 僕は、試案として次のように考えます。

■1:リーグ戦におけるベストメンバー規定は維持する

 こちらについて、大きな問題はないという認識だからです。

■2:カップ戦は「直近のカップ戦含めた5試合に出場した選手を5名以上含む」にする

 リーグ戦よりベストメンバーの幅を1人減らし、その分自由な起用を可能にするわけです。

■3:使用会場をコンパクトにする

 広島なら、ビッグアーチでなくコカコーラ・ウエストスタジアムにして、「若手の登竜門」という位置づけをハッキリさせます。「若手育成の場」として見に来るコアファンにシフトする方策です。

 確かに、これでは観客数がさらに減少する危険もあります。が、現状どおりの規約を維持したところで、増員するとも思えません。

 http://www.j-league.or.jp/data/2/?league=ync&genre=attendance&d=cup&g=nabisco_1&t=n_visitor&y=2009

 こちらを見ると、節にもよりますが、会場のキャパを満員にした試合はゼロです。決勝ですら44,308人と満員にはなっていない。

 ならば、コンパクトな会場に設定して臨場感を増し、満員のカードを多く増やすことでプレミアム感を演出するほうが良いのではないでしょうか。広島ビッグアーチにおける6,921人はキャパの6分の1程度ですが、コカコーラ・ウエストスタジアムでは6分の3です。

 現状のナビスコ杯の問題、規定の問題を一気に解決出来る方法ではないかな、と思いますが、いかがでしょうか。

柏木陽介の移籍に思うこと

 15日、柏木陽介浦和レッズへ完全移籍することが発表された。

 http://www.sanfrecce.co.jp/news/release/?n=3391

 移籍そのものについては、今更何の異論もない。既成事実だとさえ考えていた。しかし、決まってみると、胸の中に割り切れないモヤモヤ感が残る。

 モヤモヤの正体は、身も蓋もないが「移籍金を残していかなかったこと」だ。人の心など、言葉では測れない。久保竜彦駒野友一が満額の移籍金を残して去ったことは、文字通り「補償」となった。両者の移籍金約2億8000万円で助かった選手やスタッフは、数多かったはずだ。

 サポカンの社長発言によると、広島の年間予算は20億円から25億円の間だという。2億8000万円となると、7分の1から8分の1に相当する、巨額である。

 従来の移籍制度のままなら、移籍係数10である柏木は、年俸3000万円と仮定すれば3億円の移籍金を残すはずだった。この不況下では巨額であり、移籍が成立しない可能性は高かったといえる。

 しかし今年から移籍制度が改訂され、契約切れの選手に対して移籍金は発生しなくなった。欧州ルールに統一した形だ。柏木の移籍は、意図があったにせよなかったにせよ、このタイミングで行われた。暫定処置として設けられた育成費(ユース時代から計算し、年間800万円を補填する措置)により、クラブの手元にはユース3年+プロ4年分の計7年分、5600万円が残ることとなる。 こちらの報道では、4800万円が残ることとなる。http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw200912160092.html

 しかし、これは移籍金ではない。柏木の意志は、そこに介在していない。何の意志か。「チームに金を残そう」という意志である。

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 念のため言えば、柏木がチームに商業的な貢献をしていないとは思わない。むしろ逆だ。

 例えば、レプリカシャツの売り上げは佐藤寿人と並んでチームトップと聞く。1枚につき、マーキング料含めると1万6000円だ。

 シャツの売り上げは、マーチャンダイジング料として最も大きい。他のグッズも似たような推移という話だし、関東にも柏木を見るため足を運ぶファンは多いと聞く。柏木が在籍期間中に何枚のレプリカを売ったか、厳密な数字を出せば、かなりの額が算出されるかもしれない。

 ただ、それで"チャラ”になるのかというと、違う気がする。柏木は広島からも、有形無形の恩恵を得て成長した。シャツの売上などと天秤にかけるべきは、そちらではないか。

 僕は、移籍金と天秤にかけた片方に乗るのは、「置いていかれるファンの心情」に他ならないと思う。

 綺麗事を抜きにしてほしい。10年にわたって活躍が期待できるユース育ちの主力選手が、移籍金ゼロで出て行くことに、誰が納得できるのだろうか。

 移籍金とは、クラブを去る選手が、移籍元に表明できる重要な補償の一つだ。その金を元に、クラブは新しい選手と契約するなり、赤字を補填するなりし、穴を埋めることができる。

 その額がゼロというのは、愛着もゼロ、というふうに捉えてしまう。まして、貧乏クラブならなおさら。

 柏木は、2007年以降の契約交渉で常にモメてきた。2007年は柏や神戸からのオファーに揺れ、2008年もロクに活躍しなかったのに保留を重ね、移籍をちらつかせた。本人は「真剣に悩んで結論を出した」というが、その結論は毎回の単年契約という形だった。

 実力ある選手がそういう交渉を取ることは、全くの自由だ。良い悪いもない、正当な商取引である。しかし、その行為をファンが支持する必要もまたない。

 予算の少ないクラブへのハードネゴは、「いずれチームを出る」という意志を感じざるをえなかった。クラブへの愛着より、報酬への執着をより感じた。さらに、12月15日は彼の22歳の誕生日である。発表をわざわざこの日にしたのは、移籍を100パーセント「慶事」と捉えていなければできないこと。「心は広島にあらず」と捉えられても致し方ないのではないか。

 上記のうち、「天然」な部分もあるとは思う。柏木が、自分のイメージ操作にそこまで自覚的とは思えない。しかし、僕のように捉えるファンが少ないとも、僕が何か誤解しているとも思わない。

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 まあ、いずれにせよ済んだ話ではある。22歳の若者が、成長とステップアップのために、広島ではないチームを選んだ。広島サポとしては、彼の成功を祈りつつ、その決断が間違っていたと思わせるため、広島を浦和以上のクラブにするよう応援するのみだ。

 この件は、単に腹立たしさを紛らすために書いたにすぎない。柏木サイドは契約制度を利用し、正当な形で移籍をした。それがすべてだ。彼の今後の飛躍を祈りたい。

 余談だが、これで広島にまた10番の空位時代が訪れた。広島には、伝統的に10番らしい10番はほとんどおらず、かつては久保竜彦ウェズレイら、10番というよりFWやアタッカーに近い選手が付けていた。

 柏木陽介もまた、ゲームメーカーというタイプではなかった。後任候補として挙がりそうなのは高萩洋次郎森崎浩司というところだが、僕は槙野智章を強く推したい。広島を代表する、広島に強い愛着を持つ、陽性のキャタクターを持つ槙野こそ、10番にふさわしいと思う。